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医学生へのメッセージ

公立藤岡総合病院

公立藤岡総合病院

医学生のための地域医療体験セミナー in 藤岡

 医学生の頃、私は講義を受けるのが苦手でした。いつも講義の中身は頭の上を右から左へと素通りしていました。講義を聞いてもわからない、講師の先生から質問されてもわからない、『犬のおまわりさん』の「迷子の子猫ちゃん」状態でした。しかしながら講義以外では、あちこち出かけて見たり聞いたり体験したりするのは好きでした。夏休みになると知り合いにお願いして地元の総合病院で皮膚科外来を見学させてもらったり、三重県の離島の診療所に行ったりしました。 総合病院の皮膚科外来の診療はまさに「百聞は一見にしかず」でした。患者さんの話を聞き肌の症状をみて、医師からの患者さんへの説明と診断した病気の名前をメモしておいて、家に帰ってその疾患について本をめくるとその通りのことが書いてありました。顕微鏡で白癬菌や疥癬の現物を見て、ポリクリとは違うポピュラーな診療に接し、医師という職業を身近に感じた楽しい2週間でした。
 離島では、泊まりこみで1週間すごしました。離島で働く青年医師はさながらドラマのようでした。手の外傷の患者が運ばれ、止血治療までしかできず本島の病院に紹介し、連絡船で運ばれる患者さんを見送りました。小さな島ゆえ、ふだん患者はあまりいないので時間はたっぷりありました。そこで働く青年医師の体験談は新鮮でした。診療の合間には海辺で水遊びをしました。夜には海で取れたばかりのさかなをつまみに、島の人たちと酒盛りをしました。島内の舞台演劇発表会の練習風景を見せてもらいました。酒に酔った勢いで本物の漁船につける大漁旗をおねだりしてゲットしました。そこで暮らす人の空気をたっぷり吸えました。じぶんもこれから医師として社会に貢献していくのだという自覚が出てきました。
 数十年が過ぎ、当然のことですが医学生時代の講義のことはほとんど頭に残っていません。しかし、最前線の診療の現場や、その地域の生活に触れたことは思い出深いものとなっています。
 新幹線に乗って東京から帰る時、そろそろ高崎だというころ車窓の南側に見える茶色の建物が公立藤岡総合病院附属外来センターです。藤岡中央高校と並んでいます。離島と違い交通の便はよく、高速道路の藤岡IC からはあっという間、一般道でも前橋からは車で渋滞がなければ30 分位で来てしまう所です。
 医学生のみなさん、藤岡市に出かけて、ららん藤岡によって、公立藤岡総合病院で地域の医療を体験してみませんか。

附属外来センター長: 清水透

 

医学生のための地域医療体験セミナー 数日型

『地域枠学生のための上州弁』
 学校教育の普及やマスコミの発達のおかげで誰もが標準語を話すようになり、日本各地の方言も影が薄くなってきた印象がありますが、それでも土着の言葉は思いがけない場面で顔を出します。医療の場面も例外ではありません。群馬以外の出身者で今後群馬で医療に従事しようとされている方は、上州弁に馴染んでいただくことが、この土地に愛着を覚えるきっかけになるだけでなく、実際の診療の場でも、方言に託された患者さんの訴えに戸惑うことなく、また自然に共感的な姿勢になれることに大いに役立つものと思います。
 よく使われる表現に「おおごと」があります。あえて漢字を用いれば「大事」なのでしょうが、これは、体が「だるい、苦しい、つらい」といった意味で使われます。また、「なから」も頻繁に登場します。漢字をあてれば「半ら」が順当ですから、中等度を表すかと思いがちですが、実際の意味は「かなり」に近く、強調の副詞となります。したがって、容態を尋ねられた患者さんが「なからおおごとです」と答えた場合は、この方は相当重症だ、と真摯に受け止めた方が良いでしょう。
 「来る」という動詞の未然形が「来ない(きない)」となるのも上州弁の特徴です。これは「なから」根強い言い方で、若い方もよく使います。「来ることができる」という意味の「来れる(これる)」が「来られる(きられる)」などとも表現されるのも同じ現象です。患者さんが「次の外来の予約日には(来)きられません」と言っても戸惑わないようにしましょう。
 上州弁の語尾には「だんべ」、「だがね」などが良く使われます。意見に同意を求めたり、相手を説得する場面でよく用いられます。この語尾が使われる場面には一定の仲間意識が前提とされているようです。さすがに土地の患者さんが医療従事者に向かってこの語尾を使うことは不躾な感じがしますし、実際はまれだと思います。一方「~いね」は気安く使われます。これは述懐を強調する語尾です。いわば田舎風の詠嘆です。「月日は経ったいね(=経ったものだなあ)」という感覚です。患者さんが、これらの語尾を用いた場合、単に場をわきまず、無神経にそうした表現をする方もいるとは思いますが、他方では、診療の場で余計な気構えが取れて医師に親近感と信頼感を寄せている証左となることもあります。私なども、症状の重かった関節リウマチの患者さんから「前はおおごとだったが、楽になったいね、なから薬が効いてらいね、先生のお陰だがね」と言われるとすれば(ここまで打ち砕けた言葉にはめったに遭遇しませんが)、まさに上州の医師冥利に尽きる思いでしょう。
 言葉と体は深いところで繋がっています。取り繕ったり、気取ったりする余裕がない、病のさなかにある身体が発する内奥の直截的な表現としての言葉が、人が物心つくころから身に付けた土着の表現になるのはある意味で必然的であり、医師がそこに豊かな意味を感受することは、地域医療の現場でも大切だと思います。医療は標準的な薬剤や手術で施されることはもちろんですが、何よりも人と人との間に交わされる言葉が重要な役割を演じます。そして、時としては地域限定の言葉が重要な媒介となり得るのです。
 皆さんも上州弁でつなぐ地域医療に「おおか」(=あまり)焦らずに「ちっとんべえ(=すこし)」ずつ馴染んでくだされば、将来「まさか(=本当に)いい先生だいね」と評されること請け合いです。

副病院長: 塚田義人

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