高崎総合医療センター
今年も多くに医師を目指す高校生に巡り合うことが出来ました。照れ隠しなのか、ややはにかんだ表情で院内中央診療各部門を見学され、高崎総合医療センターの医療現場実習を通して、短い時間ではありましたが志高き未来を築く人達と過ごすことができて大変頼もしく思った次第にございます。当院を見学された高校生達の、そのはにかんだ表情の裏側には未来への不安も多く隠されているように思います。真面目に取り組む彼らにしてみれば、「適正上、自分に出来るであろうか」とか「難関医学部入試への不安」といったものも含まれていたように感じております。何故、日本国においては最も偏差値の高い人材にのみ医師への門が開かれるのか。医大や医学部を有する大学は全国にいくつもあり、ピンキリだと言えばそうかもしれませんが、どの大学においても最も偏差値上優秀な人材を求めるのは医学部であります。医師とはそれだけ社会的責任が大きいから、などと漠然と考えたりもしていましたが、その責任を充分に認識し、全うするべく努力を数十年に渡り継続出来る者がどれだけいるか、と自分を含めて病院内、地域内を見回してみると、どうでしょうか。皆さん医師の方々は通常の診療以外にも多くの努力をしているように見えますが、40年という永い時間を考えますと、むしろ自分を永く重責のある現場に留めておくための方法が必要となってくるように思えます。それは健康面だけではなく、精神的な部分も多く含まれています。またそのためには自分が医療現場の前線に居なければならない理由も必要となるでしょう。その必要性に言及するならば、十人十色だとは思いますが、地域社会やこれを構成する人々への医師としての社会的責任。「一体誰が今苦しんでいる人々へ手をさしのべることが出来るのか」、このような言葉となりますが、如何なものでありましょうか。朝から晩まで夜を徹して働き続けるなどということは、人間という生き物の生理性質上、また能力上無理な話です。私の人生経験から言えば、人間には暇と思える時間や無駄と思える時間も必要であり、想起や着想といった創造的な精神的活動はむしろ、そのような時間に身を置いている方が活発に派生してくるように思えます。また思考を維持するための感情においては辛い思いをして苦労を重ねるだけでは駄目で、楽しいと思える時間も必要です。既存の技能や知識を習得するのは時間をかけた個人の努力しかないように思えますが、時代を切り開き、先駆者たるべき発想も必要だとすれば、ひらめきはむしろ暇や無駄と思える時間に訪れるでしょう。しかし先駆的発想がどれ程価値を有するものであるのかを判断するためには、やはり多くの知識を必要とするわけですから困ったものですね。でも困った、辛い、大変だ、といった人が置かれる状況は必ずその人を強く逞しくしてくれます。自分が成長するための糧となってくれます。生きているいじょうは諦めずに前向きに考えるべきです。目指すは難関医学部、皆様の健闘を祈りつつ、人生において実り多き医療現場で待っております。