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医師を目指す方へのメッセージ

高崎総合医療センター

高崎総合医療センター

 今年も高崎総合医療センターに群馬県の元気な高校生達がやって来てくれました。そして当院全部門の見学と説明を聞き、研修医との意見交換や学生時代の過ごし方、医師になっての感想など、通常ではなかなか聞くことの出来ないお話しをタップリと聞いて無事に閉幕致しました。私も、そして研修医も高校生達の出会いを通じて多くの元気を頂くことができました。皆様には改めて感謝致します。
 私も医師という職業を長くしておりますと、色々と考えることが増えてまいります。この度、機会を得て他書へ執筆する機会を得ました。医の倫理と医師のプロフェッショナリズムについてお話しさせて頂こうと思います。我々の日常においても、プロ野球選手やプロサッカー選手といった身近な言葉として「プロ」という言葉は使われています。日本社会での使われようとして、一般的に、「プロ」とは興業的な要素が大きいように感じますが、特定の技能(もしくは知識)を社会に提供することで報酬を得る人や職業について用いられています。そういった意味では全ての職種が「プロ」に相当しますが、欧米で用いられているプロフェッション(Profession)とはやや意味が異なります。元来西欧諸国にあっては「プロフェション」とは、聖職者、医師、弁護士、教師などの社会奉仕を前提とした専門技能を有した職業、もしくは技能者、または技能者集団を示す言葉として用いられてきたようです。現在にあっても個人個人によって、多少の差異はあるものの広く用いられています。広く用いられているが故に認識は曖昧とは思いますが、また、各々の識者により多少の相違はあることを前提に、プロフェッションとは「職能専門の教育を受け、学識と技能を習得し、社会の利益に奉仕する職業」との捉え方が一般的です。そしてプロフェッションが社会において生産的に職能を駆使して社会活動を継続することは、その領域において常に社会が要求し期待することでなくてはならず、このような状態を「社会契約」と呼ぶことができます。高校生の皆様も、「社会契約」と聞いて、想起するのは、18世紀にフランスで活躍したジュネーブ出身の思想家、哲学者でもあるジャン・ジャック・ルソーではないでしょうか。日本では明治時代に中江兆民により翻訳された「社会契約論」によって日本人へ紹介されていますが、その中にも、国家論として、人々と国家の間にある社会契約の在り方が示されています。その当時はフランス革命(君主による専制政治からの民主革命)前であり、哲学の全盛期とも称することが可能なほどに、このような思想や議論が盛んになされていた時代でした。現代の平和な日本、または先進諸国など、民主主義が発達した社会においても、人々が人生として与えられた時間を用いて行う社会活動により、報酬を得る在り方は変わることなく保存されており、「公益に寄する」、つまり社会の利益を明確な目的とすることが可能な職種についてはプロフェッションと称することが可能であると考えます。それではプロフェッショナリズムとは。プロフェッショナリズムとは、これら社会においてプロフェションを展開する上での規範(指針)を示しており、医師であるならば、医の倫理とほぼ近似の位置付けとなります。何のために医師は持ち得る技能や知識を社会に向け行使するのか、医師は何をする職業なのか、どのような態度や心持ちで社会に臨むのか、そんなことが近年では明文化されて提示されています。さらに日本でも既に医学部教育、卒後教育にもしっかりと盛り込まれています。「医のプロフェッショナリズム」、興味のある方は調べてみて下さい。
高校生セミナー後記

総合診療科・内科部長: 佐藤 正通

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